参加者の体験記
こじつけて見る
奥 光子
今年、50歳になりました。半世紀生きてますが、日々の“折り合えなさ”に途方にくれて、あっという間に日が暮れる……そんなオロオロした毎日です。
ふだんは一人で文章を書いたり、ZINE(*)を作ったりしています。文章のモットーは「元気で、楽しく、くだらない」。なのに気づいたら手はグーに握られ、脇は締まり、肩はいかっていて、それは随分とまあ緊張して……体が戦闘態勢で文章を書いているんですね。
さて、初回のインタビューで翻訳者のバーチ美和さんが「韓国文学の励ます言葉」として『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』(キム・ソヨン著、姜信子監訳、〔バーチ美和さん含む〕一文字辞典翻訳委員会訳、CUON、2021年)から紹介してくれたのが「道を楽しめない町は死んだ場所も同然だ。」(「道」)という言葉でした。私はこれを良い意味で「こじつけること」と受け取りました。苦肉の策でも、有り合わせで創意工夫が生み出せれば……。
それからもう一つ、インタビューを終えて参加者の皆さんや講師の皆さんとの会話(直接でもLINE上でも)の中で教えてもらったのは、一人一人の「ことば」に対する“態度”とか“節度”だった気がします。
直接する会話は、内容よりも表情・目線・身振りなどが印象の多くを決める、という話があります。LINEの中にもその表情・目線・身振りに代わるようなものがありました。不意にもれてくる普段のことばからそう感じたのかもしれません。一方、いまここで公開される皆さんの文章はちょっとよそゆきのことばかもしれませんね。隣の皆さんはどんな文章を書いているのでしょう?
差し向かいでもなく、一つのテーブルを囲んで座る位の程よい近さとちょっとした間の両方がある「ことばと向き合う場所」は、日常生活には案外ない気がします。だからか、自分にとって「文章を書くこと」にも改めて向き合う機会になりました。
この会に参加して、見聞きしたことに精いっぱい手を伸ばして何とか自分の糧にしてやろう!という「こじつけ力」を発揮し、その渦中のまま書くことが「道を楽しむ」ということなのかもしれません。道しるべとして参加者の皆さんのことばを訪ね、見聞きした作品に連れられて「今の自分にちょうどいい」を探ってこうして書いています。
「わかる」をことばにすることと「わからない」と感じることを、安心-不安で、片づけないで同じように見つめたい。いまここで「ことばにする」ことは一部、わからないままここで隣り合うのも一部。急場の折り合いを保留にして時間稼ぎをしたままでも、こうして文章は書ける。今は手をグーに握ったまま、それならそれで文章を書き続けよう。そんなことを思った体験でした。
*ZINE……個人や少人数のグループが自主的に作って流通させる、少部数で基本的に非営利の出版物。
●奥光子(おく・みつこ)
“ガシガシ編集部”名義で、フリーペーパー・ZINE・街歩きMapの制作など紙媒体を中心に活動。文字通りガシガシ土足であがりこんできてあがりこんだ途端モジモジしはじめる……そんな編集方針です。近刊は『津田沼雑貨狂時代』『Chungking Express Chai Book』など。
「最悪」まみれの世界で、それでも息をつく
貝 柱
私事になるが、この1年間で生活が一変した。いや、一変している最中というほうが正確か。
最大の要因は転職だ、文章に携わる職に就いている人であれば多かれ少なかれ憧れの目を向けるだろう業界を這々(ほうほう)の体で去り、「そんな業界があったのか」と言われがちな場所へ来た。業務にはまだ慣れていないし、いつか慣れる日が来たとしても、職場に流れる空気に慣れる日はたぶん一生来ないのだろう。
それでも、ひとまず安定した生活は手に入れられた。ズタボロにされた自律神経は相変わらずズタボロのままだが、辛いしんどいと泣きわめくこいつに対して「うるさい、私だってしんどい」とやつあたるしかなかったのが、最近はやっと「うん、辛いね。いいから泣いとけ」と声をかけることができるようにはなった。たぶんこのまま一生漢方薬は手放せないだろうけれど、安定剤にはいつか別れを告げられるだろう、それだけで十分だ。
前職を去ったことに後悔はない。取り返しの付かないことになる前に引き返せて本当に良かった、と言うべきなのだろう。それでも、まったく違う性格の文章を前に四苦八苦していると、「仕方がないじゃん、あっちを諦めるって選んだのはお前でしょ」という「誰か」のささやきが聞こえてくるのだ。別に選んだのではなく、選ぶことを強制されただけなのだが。
かえるの学校再始動のメールに参加希望の返信をしたのは、せめて諦めた道との細い繋がりを持つことでその声を振り払いたかった、そんな気持ちもあったのだろうか。
結論から言えば、久々に息ができた気がした。
前職は、外見だけは牧歌的な「緩やかなデスゲーム」だった。
人生とは、各々が与えられた道具を使って終わりのない最悪な坂道を力尽きるまで上がっていくことに似ている。私に与えられた道具はかろうじて変速機のある自転車で、小まめにメンテナンスをしないと、すぐにギイギイと音を立てる。それでも私はまだマシなほうで、ギアすらない自転車を必死にこいで仕事をしている人もいた。
それを見かねてサポートをと提案した私に、最新型電動自転車に乗る同僚は言い放ったのだ。あんな走り方しかできないのにこの仕事を選んだほうが悪いんだ、と。
ああ、この場所にい続ければ、いつか私もこの言葉を浴びせられる日が来るのだろう。喉を絞め上げられるような感覚とともに、そう思った。
ドロップアウトして自転車をメンテする余裕ができても、相変わらず人生は坂道だし世界は最悪で満ちている。
どんどん膨れ上がった最悪たちは日々を圧迫し呼吸を浅くさせ、そんなときでも視界の端はモザイクのようにゆらゆらチカチカとぼやけ、その歪みがそのままじわりと世界を侵食していく。
それにつられて乗り物酔いのような吐き気と倦怠感に私の身体は支配されていき、目の奥と前頭部がじんわりと痛く、重くなっていく。やろうとしていたことは何もできないまま、焦りとともに時が過ぎていく。
だが、私はこれが閃輝暗点(せんきあんてん)と呼ばれる偏頭痛の予兆に過ぎないと知っている。鎮痛剤を飲み「早く治まれ」と祈りつつ横になっていればやり過ごせることも、頭痛外来という場所の存在も知っている。
だから、そう、それと同じだ。この最悪だらけの日常でも、息ができる場所があることを私は知っている。そういう場所を作ろうとしている人がいると知っている。それだけだが、それだけで私たちはどうにか明日も生きていけるのだろう。
●貝柱(かいばしら)
昭和と平成の狭間生まれ。非正規雇用を渡り歩き、流れ着いた名ばかりフリーランス生活からドロップアウトした30代半ばにして初の正社員生活をゲットし、もうすぐ1年。きちんと調整すれば希望通りに有休が取れるうえに、「定期的にメールや着信をチェックして対応するように」と言われないことに最近は一周回って怯えている。
「ことばを紡ぐ」という道の先に
長谷川万里絵
はっきり言うと、久しぶりに届いたかえるの学校からのメールを読んだ時点では、「きく・はな・かい」で具体的に何をすればいいのか、ピンときていなかった。もちろん詳細は書いてあるのだけれど、なんだかよくわからない。
でもきっと面白いことになるのだろう、という予感がしたのと、たまたまその頃、漠然と考えていた「表現するということはどういうことか」を少しでも体験できるのではないかと思ったので、えいやと応募してみたのだ。
おはなし会のゲストは、韓国語翻訳者のバーチ美和さん。自身が翻訳してこられた韓国書籍のことや、韓国文学のことなどをお話ししてくださった。
そして「韓国の本から日本の女性を励ます言葉」として挙げてくださったのは、『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』(キム・ソヨン著、姜信子監訳、〔バーチ美和さん含む〕一文字辞典翻訳委員会訳、CUON、2021年)から、「道を楽しめない町は死んだ場所も同然だ。」(「道」)。
バーチさんは続けて、
「裏を返すと、自分がどこをめざすかはわからないけど道はあって、その道はどんな道であっても楽しむべきだ」
ともおっしゃっていた。
後者の言葉はおそらく『一文字の辞典』に書かれているものではなく、バーチさんがその場で、わかりやすいよう言い換えてくださったものだと思う。
文の意味は前者と同じだが、私はこれを聞いて、「道を楽しめない町は死んだ場所も同然だ。」の言葉から頭の中に浮かんでいた“死んだ町”の、薄暗く、寂しい雰囲気が、一転して生き生きとした空気、日が差しあたりには花まで咲いているような、そんな場所に向かう道の景色に変わった。
当日は前者の言葉が心に残ったが、後日、録音されたものをくりかえし聴いて心が動いたのは、後者の言葉だった。
この録音を聴いたとき、「きく・はな・かい」の「かくこと」にとても悩まされていた。
もともと自分の気持ちを表現するのが苦手、ということもあるが、日々の忙しさに押されて、時間がとれなくなった。いつの間にか「書かなければいけない」と焦りはじめ、空白のドキュメントを眺めては、「今日も書けなかった」と落ち込んで眠りにつく。今思えば、目的が「書くこと」「締め切りを守ること」だけになって、視野がとても狭くなっていた。
第一稿提出の期限が過ぎ、第二稿の締め切りが迫る。期日を守るためにとりあえず何か書いてしまおうか……でも書ける自信もないし、いっそなかったことにしてしまいたい。もうなんというか、崖っぷち。
いよいよどうしようとなった時に、どこかで見てたんですか、と思うくらいの絶妙なタイミングのメッセージ。
つらければ「書かない」という選択をしてもよいけれど、まだがんばりたいという気持ちがあるのなら、できれば楽しんで書けるとよいですね。というようなことを、講師の方々がアドバイスしてくれた。
あぁ、楽しんでよいのか。すっかり忘れていた。
テクストの柱となる言葉を求めてあの日の録音を聴きかえす。そして出会ったのが「どんな道であっても楽しむべきだ」という言葉だった。
真っ暗だった「ことばを紡ぐ」という道に、ひとすじ、陽が射したように思えた。
仕事の合間。夜、眠りにつく前。難しくは考えずに、出会った「柱となる言葉」に触れて出てきた私のなかの言葉を、キーボードをたたいて文字にしてみる。
今では花咲く場所に向かってどんどん進んでいる、とはまだ言えないけれど、この道を一歩ずつでも歩いていけば、やがては……そう思えるようになった。
●長谷川万里絵(はせがわ・まりえ)
日本語ってむずかしい。
文章を読む、ということを仕事にしていますが、自分の内側を言葉にして外に出すという行ないはたいそう久しぶり。かえるの学校「土曜の午后の校正教室」(2016年秋期)、「わたしたちの一冊を作る」(2017年春期)卒業生。
「あの感じ」の文字起こし
物畑カロ
経験を言葉にするのは難しい。
「あの時のあの感じ」を書こうとしてもなかなか言葉でつかみきれず、何度も何度も手札を切って出すように、場に向かって言葉を切り続ける状態にハマることが時々ある。それでもポケットの中身を砂まで全部出すように断片的に書いて、それが最後には一つの文章になることもあるけれど、「きく・はな・かい」の体験記として書きはじめた言葉はそういう風にはならなかった。ならなかったので、シンプルに、順を追って、会の当日から書きはじめたい。
その日は祝日の月曜日で、休みだなぁと思いながら家にいた。のんびりとした時間にふとスマホを見たら「14:00から『おはなし会』が始まりますが、ご参加できますか?」のメッセージを見つけ、文字通り飛び上がって慌てた。なんと日付を1週分勘違いしていたのだ。とにかく道に出て慣れないアプリでタクシーを呼び、何とか見覚えのあるかえるの学校近くにたどり着いた。結局、会に参加できたタイミングは終了直前だった。
ただ、その後も言葉のやりとりを続けていくなかで、短い時間でもあの場を共有することができたのはよかったと思う。録音した当日の会話を聞いても、対面に続くチャットでの言葉を読んでも、「あの時のあの感じ」から考えていくことができた。
録音を聞き返したりチャットを見返したりするときに思い浮かぶのは、当日あの場で自分から見えた景色だ。後から何度も考える言葉と同時に、自分が車座に加わったときの距離感やそれぞれの座り方が思い出される。それ以外にも思い出しきれない、意識しきれない些細な要素が集まって、場を共有した実感ができているのだと思う。それが「あの感じ」として、対面・チャット・ブラウザ上の文書へと、言葉をやりとりする場が移っても感覚的に続いてくれている。
「きく・はな・かい」の「あの感じ」は、なんとなく大丈夫だと思える直感的なもので、終了10分前にすべりこんだにもかかわらず、輪の中にスッと通してもらえた感覚になった。10人ほどのこぢんまりとした輪でも、言葉を受けとめてもらえる広さを感じた。その広さは自分の中で言葉がめぐるときの、ごく個人的な使い方の言葉で話したり書いたりすることを許してもらえるところからくるのだと思う。
体験記を書くために書いたこの文章の10倍近い断片的な言葉は、そういう広さによろこんで散って逸れて弾んで出てきたのかもしれない。文章としての線の通し方が時間以外にわからないくらい、自分の中で言葉がパチパチはじけて広がる会だった。
●物畑カロ(ものはた・かろ)
かえるの学校「土曜の午后の校正教室」2019年春期受講生。聞く・話す・書くはどれも好き。よく聞く、程よく話す、ただ書くができるようになりたい。
かえるの学校
〒143−0023
東京都大田区山王2-35-10
*JR京浜東北線「大森」駅から徒歩12分
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